総合監修:NTT東日本関東病院皮膚科 部長 五十嵐 敦之 先生

文字の大きさ

患者さんインタビュー
角田洋子さん[発症から約20年]

乾癬を発症して
〜自分がなにか汚い存在になったようで、すごくショックでした〜

角田洋子さん

乾癬と診断されたのは1995年4月頃、約20年前です。最初の異変に気付いてから約1年後のことです。
最初は、足のすねにポツポツと皮疹が出ているのに気付きました。それがどんどん広がり、足全体を覆うようになりました。もともと乾燥肌だったこともあり、それがひどくなった程度と考えて深刻に受け止めてはいませんでしたが、友人から病院へ行くことをすすめられ、近所の皮膚科を受診しました。しかし受けたのは乾燥肌の治療で、半年ほど通院しましたが、症状は改善せず悪化するばかりでした。この頃はまだインターネットなどは普及していなかったため、使っている薬について調べることもなく、医師に言われるままに治療していました。その後、複数のクリニックや診療科を転々としたところ、「大きな病院へ行ったほうが良い」と言われ、大学病院を受診しました。

大学病院でやっと乾癬と診断されたのですが、同時に「残念だけど、この病気は一生治らない」と言われました。その言葉にとてもショックを受け、その後に受けた説明は全く頭に入ってきませんでした。理解できない奇妙な病気になってしまったと思い、茫然として診察室を出ました。

この「奇妙な病気」というイメージのせいで、とにかく人に知られたくありませんでした。当時は症状がかなりひどくなっていて、家中に鱗屑(りんせつ;肌の表面を覆う白色のかさぶた)が落ちるほどでしたが、家族にも友人にも相談できませんでした。家族には迷惑をかけたくないと思ってしまい、弱音をはくこともできず、心配してくれていた友人に対しても、私のつらさは理解してもらえないと決め付けていました。そのうちに、「こんな病気になった私が悪い」と自分を責めるようになり、とても孤独でした。自分がなにか汚い存在、人には見せられない存在になったように感じていました。

乾癬で困ったこと
〜普通の人と同じことができないことがつらかったです〜

乾癬のせいで、好きな洋服を着られないのもつらかったです。私は手足やお尻周りの症状がひどかったため、足が見えるスカートをはけなくなりました。黒いストッキングで隠そうとしても、生地の網目から鱗屑が出てきてしまうため、子どもの入学式などではいつもパンツスーツでした。また、洋服の試着をしても、服に鱗屑が付いたり、試着室の床に鱗屑が落ちることがあり、試着が怖くて洋服を買いに行けなくなりました。

大好きな温泉やマッサージにも行けなくなりました。調子の良いときに、すいている温泉やマッサージ施設を探して行ったこともあるのですが、何度か乾癬のことで嫌な思いをしてからはあきらめて行かなくなりました。「とびひ(伝染性膿痂疹)なのに温泉なんて」と言われたこともあれば、膝下のマッサージを「できません」と断られたこともあります。また、子どもの合宿の付き添いなど団体で宿泊する際に、他の人と一緒に入浴するのも苦痛でした。ごまかして入浴しなかったり、全員が入浴を済ませた後に入ったりしていました。乾癬のせいで普通の人が行く場所に行けない、普通の女性がしていることができない、そう思うととても惨めでした。

乾癬治療と向き合う
〜良くなった患者さんの存在を知り、初めて希望が持てたんです〜

角田洋子さん

大学病院で乾癬と診断されて、しばらくはそのまま通院していましたが、毎回決まった薬が処方されるようになっていたこともあり、通いやすい場所にある皮膚科に転院して処方してもらうことにしました。その病院には約8年間通いましたが、「どうせ治らない」とあきらめて通院しなかった時期もありました。薬も、かゆみなどの症状がひどいときだけ塗っていました。しかし、インターネットが自宅で使えるようになると、ホームページで乾癬に関する情報を提供している病院を見つけたので、受診してみることにしました。

その病院へ通いだして、塗り薬や飲み薬以外にも治療法があることを知り、また、医師にすすめられて、乾癬の勉強会に参加するようになりました。当時は乾癬について学ぼうという意欲が乏しかったため、半信半疑で参加したのですが、そこでの経験がその後の人生を変えました。

最初の勉強会は知らなかったことばかりで、驚きの連続でした。乾癬がどのような病気なのか、このとき初めて理解し、いろいろな治療法があることに驚き、乾癬についてもっと知りたいと思うようになりました。自分以外の患者さんに会ったことがなかったため、患者さんが大勢いたことにも驚きました。同じ病気の患者さんと話をして、これまでの経験が「自分だけのものではない」と感じたときの気持ちは言葉では言い表せません。乾癬を発症してから、初めて病気のことを本音で話すことができました。勉強会で乾癬や治療のことを学んだり、他の患者さんとお話しする機会を得たことで、初めて希望をもつことができ、「自分も良くなれるかもしれない」「良くなりたい」と強く思いました。乾癬になってあきらめていたことを、もう一度できるようになりたいと思いました。

乾癬治療を続けるコツ
〜病気を受け入れることで、治療に対する姿勢が変わりました〜

勉強会に参加して希望がもてたことから、再び大学病院で治療を行うことにしました。そのときに医師から「大丈夫、良くなりますよ」と言われたのですが、その言葉を心から信じることができました。それまでは、なぜこんな病気になったのかと思うばかりで、乾癬である自分をどこかで否定していたのだと思います。しかし、勉強会を通して信頼できる医師や患者仲間と出会ったことから、「自分はこの病気とともに生きていくのだ」と自分のなかで受け入れることができました。受け入れられたことで、自分自身も「きちんと治療をして良くなりたい。先生、お願いします」という気持ちになり、医師と二人三脚での治療が始まりました。

医師との関係性も以前とは変わり、調べたことや勉強会の内容について質問したり、症状に対する不安などを相談したり、何でも話せるようになりました。信頼関係が築かれ、安心して治療に取り組めるようになりました。

こうして5年目に、皮膚から乾癬が消えた状態、すなわち寛解(一時的または永続的に病気の症状が軽減あるいは消失した状態)に至ることができました。そのときは、まさに夢が現実になったと思いました。洋服を試着したり、温泉に行ったりと、思いつくことは全てやりました。もちろん、再発への不安を感じることもあります。しかし、一度寛解を経験した現在では、「もし再発しても、また先生と一緒に治療すれば良い。また良くしてくれる」という自信があるため、すぐに落ち着きを取り戻すことができます。きっかけは勉強会でしたが、自身で寛解を体験したことがその後の自信に繋がりました。

最後に
〜病気の経験を通じて気付いたことがあります〜

乾癬を受け入れたことで、人との関わり方も変わりました。病気になったのは自分のせいではない、自分は汚い存在ではないと考えられるようになり、家族や友人とも乾癬のことを話せるようになりました。すると、家族からは「どうして良いか分からなかったし、相談してほしかった」、友人からも「気になっていたけど聞けなかった」と言われました。私の周りには心配してくれる人や助けたいと思ってくれる人がいたのに、彼らを信頼できずに心を閉ざしていたのは私のほうでした。病気でさまざまな経験をして、心を開く勇気をもてたことで、頼れる人達の存在に気付くことができました。

また、何かできないことがあったときに、乾癬を理由に正当化していたことにも気付きました。病気を言い訳にして、自らの可能性を狭めていたのです。今では、乾癬を理由にしてあきらめたくないし、できる工夫をすることも学んだと感じています。できる工夫を考えることでできないことがあっても乾癬のせいにはしないようになったのではないかと、いま改めて感じています。

角田さんの「乾癬による影響チェック」の結果


角田さんの「乾癬による影響チェック」の結果